父の誕生日
もしも生きていたら・・・


今思えば 父は凄かったなぁ
詩吟は8段 もちろん師範で「露東」という名前があった
川柳は 「点心坊」の名前で ある新聞にいつも掲載されていた
ハーレーダビッドソンに乗って宝塚歌劇へ通っていた父
釣り吉でも有名だった父 ギャンブルはすべてやっていた父
他に将棋・麻雀・・・と数え切れないほど強かった
ひと財産もふた財産も費やした父でした
特にビリヤードは凄かった
pikaoがまだ小さい時 家には優勝トロフィーがイッパイあった
。。。
今から25年前に
父とたった一度だけ「ビリヤード大会」に一緒に出場した事がある
pikaoは 父とは別のブロックで順調に勝ち上がって
おそらく 「決勝」で親子対決のはずだったが・・・
父は不覚にも 決勝を前にして敗退した
父は当時70歳半ば「年には勝てない」と珍しく言い訳していた
名人の父の応援をバックに
pikaoは ここのビリヤード場№1の人と決勝を争った
この日のpikaoは絶好調でした
これを落とせば優勝というとき pikaoは笑ってしまった
決める前に笑ったのが失敗だった
(教訓)
勝負事は勝つまで気を許すナ 笑いたかったら勝ってから笑え!
結局 逆転を許し pikaoは準優勝に終わった
その時 父がpikaoに言った一言は
「アホ」
続けて
お前は何をやっても


きつい言葉でしたネ